みんな、ロケットボーイだった(6)―――悪魔との取り引き
2002年1月16日
鈴木 真二
世界的な大恐慌とナチスの監視の強化によってヴェルナー・フォン・ブラウンの参加するドイツ旅行協会は解散に追い込まれる。その一方で、軍は兵器としてロケットに目をつけていた。ベルサイユ条約によって武器の所有を厳しく制限されたドイツは、まだ網のかかっていなかったロケットに注目したのだ。ヴェルナーは軍の資金を得てロケットの開発を続ける道を選んだ。

●運命を変えたタクシーの客

ドイツの大学生が中心となって結成されたドイツ宇宙旅行協会は、1931年に念願のロケット打ち上げに成功したものの、世界恐慌のよってもたらされた不況によって困窮を極めた。19歳になっていたヴェルナー・フォン・ブラウンもアルバイトにより生活費を稼がねばならなかった。あるとき、タクシーの運転手をしていたヴェルナーの客が、彼の人生を変えることになった。
タクシーの客として乗せた二人の軍人は、軍が行なっているロケットの実験のことを話し出したのだ。ヴェルナーが聞き耳を立てないわけはない。彼の最も得意な話題である。途中で、話に割って入ったヴェルナーは、ついには二人に解説を始め出すに至った。彼の豊富な知識に感心した二人は、若いタクシードライバーに陸軍の最高司令部を尋ねるようにと言い残して去った。その軍人の一人は、V-2の開発で後にヴェルナーの上司となるドルンベルガーであった。
ヴェルナーが最高司令部を訪れたのはいうまでもない。陸軍の要人たちも学生たちの実験場を視察した。そして子供じみた実験をやめ、陸軍の下で本格的な研究をするようにメンバーに提案する。大多数のメンバーはこの提案を受けることに反対だったが、ヴェルナーは決意をした。それは宇宙旅行を可能とする大型のロケットを開発する唯一の道と考えたためである。
陸軍はヴェルナーにロケットエンジンに関する博士論文を書くための援助を申し出た。1932年11月から彼は陸軍の実験場で研究を開始した。1933年ヒットラーが遂に政権を握りドイツは急変する。警察の規制も厳しくなり、学生たちの希望の組織「ドイツ宇宙旅行協会」は活動を停止した。

●ロケットの開発

1937年にはロケット開発はバルト海の秘密基地ベーネミュンデに移された。34年にベルリン大学から液体ロケットに関する研究で学位を得ていたヴェルナーは、ベーネミュンデにおいて25歳の若さで技術責任者に就任した。
ベーネミュンデにはドイツ宇宙旅行協会の当時の仲間たちも結集した。フォン・ブラウンらのロケットは「結集」を意味するAggregateのAに番号を付けて呼ばれた。A-1は小型実験ロケットで1933年に打ち上げられ、つづいてA2にはジャイロ安定化機構が加えられる。アメリカのゴダードのような方式ではなくジャイロの質量を利用した原始的な方式であったが、1934年には高度2200メートルに到達する。
1937年、A-3には本格的な誘導制御方式が採用される。排気中にベーンを置き3軸の姿勢をジャイロで検出し、ベーンの角度を変えて推力の制御をおこなうものである。基本的にはゴダードが採用した方式と同じである。ほとんど単独で開発を行なったゴダードは1935年にこの方式を成功させているが、A-3は、装置の未熟さゆえ成功には至らなかった。
最終目標であったA-4は、全長14メートル、重量12.9トン、推力25トンの巨大なものであった(図1)。A-3の失敗の教訓から、A-4の開発と平行して小型のA-5が誘導制御実験機として作られた。

図1 A-4の構造(資料:NASA)
A-5が成功した後、A-4は1942年6月13日に最初の打ち上げを迎える。この時と、8月16日の2回目の打ち上げはいずれも失敗に終わるものの、3度目の打ち上げとなった10月3日、A-4は96キロメートルの宇宙空間に到達する。その夜、開発部隊を指揮するドルンベルガー将軍は、「A-4の成功により宇宙飛行の新時代を迎えた」と宣言する。しかしそれは現実にはV-2の完成を意味していた。1944年9月8日、A-4はベルギーからパリとロンドンに発射された。ナチスによってA-4は報復兵器V-2となった。

●航法の起源は天測航法

ロンドン市民を恐怖におとしいれた忌まわしいロケット兵器V-2は、基本的にはゴダードのロケットを大型化したものであった。V-2が新しい技術として採用したのは「慣性航法」、外部からの誘導なしで目標に飛行するための技術である。
航法は英語ではNavigationという。カーナビですっかり市民権を得た言葉である。その意味は、目的地に正確に到達できる技術を意味し、具体的には現在位置を地図で認識し、目標に向かうことである。次のような問題を考えてみよう。
「成田空港を出発した飛行機が太平洋上で不時着した。無人島にたどりついたが、その位置(緯度、経度)はどうしたら分かるか?」
GPSを使えばすぐだが、昔はそうはいかない。東大生に出題してもすぐに答えられるものは少ない。意外と難問である。緯度は比較的簡単で、夜、北極星を探し、その水平線からの角度を測れば分かる。角度をどうして知るか。腕を真っ直ぐにのばし、手のひらを横にする。指一本が約2度なので緯度が分かる。経度は難しい。実は時計が必要である。日本で合わせた時計によって、無人島の南中時刻を計る。日本の時間は東経135度の兵庫県明石市で太陽が南中するように決められている。地球は24時間で自転するので、経度が15度変化すると南中時刻が1時間ずれる。このことから明石からの経度が求められる。南中時刻は棒の影が一番短くなる時刻を計ればよい。
こうした星や太陽をもとに角度と時計で航法をおこなう方法を天測航法という。大航海時代の航法である。ナビゲーションの「ナビ」とはもともと「船」を意味している。スペインや大英帝国の列強が帆船で航海に乗り出したのには訳がある。航海で新しい土地を発見すると自国の領地にできたのであった。列強は航法を確かなものとするため天文学と数学の発達を促す。コペルニクス(1473-1543年)が地動説を発表し、チコ・ブラーエ(1546-1601年)の精密な天文観測をもとに、ケプラー(1571-1630年)が惑星運動の規則性を見出し、ガリレオ(1564-1642年)やニュートン(1642-1727年)によって力学および微積分学が出来上がっていく。航法のソフトが整備されていった。ハード的には精密に角度を測る六分儀(図2)が18世紀に発明され、時計も半月に1秒の誤差という超高精度なクロノメータが作られる。
図2 六分儀(天体の高度を精密に測る機械:船の資料館)

●推測航法

航法のもうひとつの要素、目標に向かうためにはコンパス(羅針盤)が必要である。方位磁石の歴史は古い。磁石が北を指すことを利用した磁気コンパスはすでに紀元前から中国で使われていた。この技術はアラビアに伝わり、アラビア人は「ヤコブの杖」という太陽の高度を測る簡単な道具と磁気コンパスを頼りにインド洋を航海した。
19世紀後半、第二次産業革命を迎えると航法に思わぬ難問が持ち上がった。鉄の船や潜水艦では磁気コンパスがあてにできなくなった。「みんな、ロケットボーイだった(4)」で紹介したジャイロコンパスが発明されたのはそのためであった。
目標の方向が分かったが、いちいち天測航法を行なって位置を求めるのも大変なので、速さに時間をかけて移動距離を計算しながら進むのが賢い。船では「へさき」から丸太(ログ)を海に落とし、船尾まで流れる時間を測って速度を求めた。航海日誌をlogbook(ログブック)というのはその名残かもしれない。その後、浮きに結び目(ノット)を等間隔につけた縄を船から海に流す方法が考案された。結び目が繰り出される時間から速度を求めるのである。今でも船や飛行機の速度の単位をノットというのはそのためだ。飛行機では「ベルヌーイの定理」を利用したピトー管という装置を使う。「飛行機が飛ぶわけ(1)」で話題となった定理である。
方位と移動距離で進路を求める方法を推定航法という。船では潮流や風、飛行機では風があると誤差が大きくなるので、あくまでも推定である。ときどき天測航法で補正しなくてはならない。昔は飛行機には航法士が乗り組んでいたし、ジャンボジェットも初期の頃は星を見るための天窓が操縦席に空けられていた。人が乗らないロケットはどのように航法をおこなうのか。電波で誘導する技術も検討されたが、妨害電波に弱い。続きは次回としたい。

【資料】

1.的川泰宣、月をめざした二人の科学者、中公新書1566、2000
2.藤井弥平、電子航法のはなし、成山堂書店、1995
3.鈴木真二、航法と管制の話(1)、航空情報、2001年5月号

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プロフィール

鈴木 真二 (すずき しんじ)
1953 年岐阜県生まれ。1979 年東京大学工学部航空学科修士課程修了。 同年 (株) 豊田中央研究所入社。 1986 年工学博士。同年東京大学工学部助教授、1996 年同教授。 専門は飛行力学。 著書は「現代の航空輸送」 (共著:勁草書房) 、「マルチメディア航空機図鑑」 (監修:アスキー) 、「力学入門」 (コロナ社) など。 日本航空宇宙学会理事。

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