大西洋の向こうのドイツでは忌まわしいロケットミサイルV-2が完成していたにも関わらず、第二次大戦中もゴダードのロケットはアメリカにおいて、ほとんど評価されなかった。1945年5月にドイツが降伏し、ロケット技術者とともにV-2もアメリカに渡った。ゴダードはV-2の分解調査を命じられた。V-2は全長14.3メートルの巨大なロケットであったが、その設計はゴダードのロケットと驚くほど共通点があった。ゴダードは、独自に開発してきたロケット技術が、何者かによってドイツに流出したのではないかという疑惑を拭い去れなかったに違いない。
ゴダードは1945年6月には母校から名誉博士の学位を受けるが(もちろん1911年に博士の学位を得ている)、2ヵ月後の8月10日に、この世を去った。宇宙飛行の夢がかなうのを見ることはできなかった。V-2開発を指揮したドイツのドルンベルガー司令官は、ゴダードのロケットが政府の援助なしで作り上げられたことを知り、驚きのあまり言葉を失ったという。リンドバーグに見出され、ロケットを開発したゴダードであったが、アメリカ政府からは生前ついに正当に評価されることはなかった。研究評価の難しさが痛感させられる。
ゴダードはロケットの燃焼室、ノズル、燃料ポンプ、姿勢制御方式など近代ロケットに必要なほとんど全ての要素を一人で研究し、数百件の特許を取得していた。1960年になり、アメリカ政府は214件のゴダードのロケットに関する特許を100万ドルで買い上げ、夫人に特許料を支払うことでその功績を称えた。1926年の最初の打ち上げからゴダード夫人は、夫のロケット研究の良き協力者であり続け、ゴダードの死後は1982年に自身が亡くなるまで、夫の研究成果の普及に尽力したという。「近代ロケットの父」と呼ばれる孤独なロケット学者、ゴダードの名は、NASAゴダード宇宙飛行センターの名称とともに永遠に人々に記憶されるであろう。(次回に続く)