みんな、ロケットボーイだった (4)―――孤独なロケット学者
2001年11月14日
鈴木 真二
1926年に液体燃料ロケットを初めて打ち上げたアメリカのゴダードではあったが、それが宇宙への飛行の第一歩であることは人々には理解されなかった。研究資金の不足に悩んだゴダードに以外なところから援助が差しのべられた。

●本格的な実験の開始

ゴダードのロケットの問題点は、姿勢制御ができなかったことにあった。前回説明したように、速度さえつけば尾翼による安定性が得られるが、ロケットの加速はゆっくりであるから厄介であった。速度が出る前に、機体が傾くと、あらぬ方向に飛んでいってしまう。実は、ゴダードもそのことはよく承知していて、ジャイロを用いた姿勢安定化装置を考えていた。ジャイロとは高速に回転するコマを利用した装置である。しかし、それを実験するには、あまりにも研究資金が不足していた。
研究資金は意外なことをきっかけに得られるようになる。初飛行から3年後の1929年7月に、4度目の打ち上げを行った。この飛行で、ゴダードはロケットに、気圧計、温度計、計測用カメラを搭載した。もちろん、計測器を搭載した最初のロケットであった。30メートルほど打ちあがったが、いつものようにロケットは向きを変え、地面に激突した。激突と共に、機体は爆発し、近くの住民は飛行機の墜落と勘(かん)違いした。消防車や警察が駆けつける騒ぎとなり、マサチューセッツ州の消防署長は、ゴダードに一切の試験飛行を禁止してしまう。
この騒動は、ニューヨーク・タイムズにも掲載され、ゴダードのロケットの実験が世間に伝わることになった。この報道はチャールズ・リンドバーグの関心を引くことになった。その年の2年前、1927年にニューヨーク・パリの横断飛行に成功した英雄である。1929年の11月、リンドバーグはゴダードを訪問し、彼の研究を詳しく聞いた。ゴダードの壮大な構想に深く感銘したリンドバーグは、ゴダードが研究資金を得ることができるようにグッゲンハイム財団に働きかけた。この結果、ゴダードは翌年から年間5万ドルの研究資金を得ることができた。

●砂漠でのロケット打ち上げ

研究資金を得たゴダードは、1930年クラーク大学を休職し、研究に専念できるようになった。新たな実験場を決めるにあたり、ゴダードは大学の同僚の気象学者に相談した。一年中、外で打ち上げが可能なように、雨や雪がなく、強い風が吹かないことが第一の条件であった。さらに、平坦な地形がつづき、近くに民家の無いことも必要であった。墜落しても危害のないようにである。こうして決まったのが、ニューメキシコ州の砂漠であった。ゴダードは砂漠にいちばん近いロスウェルに移り住んだ。
ニューメキシコにおいて、1932年、懸案のジャイロを利用した姿勢制御装置を開発した。ジャイロとは高速に回転するコマを軸が自由に動けるように枠(わく)に取り付けたものである。理科が苦手な方もいると思うが、地球ゴマというおもちゃを思い浮かべて頂ければよいと思う。ただ、学生に聞いても地球ゴマを知らないというので、最近はなじみがないのかも知れない。写真を図1に載せておきたい。

図1 地球ゴマ(資料:Starmagic)

●ジャイロの歴史

ジャイロは19世紀にフランスで作られたようであるが、最初に実用になったのは、ジャイロコンパスであった。北を指す磁気コンパスは航海に欠かせないものであったが、19世紀後半から鉄の船が出現すると磁石のコンパスがうまく機能しなくなった。この時、ジャイロが同じ向きを維持する原理を用いたコンパスが考案された。ジャイロを用いて傾きを検知する仕組みは、最初は飛行機に応用された。ライト兄弟が初飛行を行ったのが1903年であるが、ジャイロによる姿勢安定化装置の特許は1891年にすでに存在した。飛行機の操縦を助けるメカニズムとして、ジャイロは飛行機の出現より前に登場したのであった。
飛行機を安定化させる装置はライト兄弟も研究をしているが、ジャイロを用いた発明はアメリカの発明家エルマー・スペリーによってなされた。エルマーの息子ローレンスがパリのセーヌ川上空を手ばなしで飛んで見せたのは1914年の事である。機体が傾いてもジャイロの軸は同じ向きであるので、機体の傾きを検出できる。このデータを元に自動的に操縦を行うのである。同乗したメカニックが主翼の片側に這って移動するが、ローレンスは手ばなしのまま飛行を続けた(図2)。こうした仕組みは基本的には今日でも同じである。ジャイロによる姿勢安定化装置はパイロットの負担を軽くするだけでなく、自動操縦装置にも発展した。もっとも最近のジャイロは、コマではなく三角形の経路にレーザーを流すリング・レーザー・ジャイロと呼ばれるハイテクを利用している。

図2 スペリーの自動安定化装置のデモ飛行(資料:スペリー社)

●完成したゴダードのロケット

ゴダードの装置もスペリーと同様にジャイロによってロケットの姿勢を検知する。垂直に打ち上げる場合、傾いた角度をジャイロで計測するのである。問題は傾いた姿勢を戻す方法である。ゴダードは噴射口の下流に4枚の板を置き、この板をジャイロの計測結果に連動して傾けることでロケット本体の姿勢を元に戻した。なお、ゴダードは第2回で紹介したドラバル・ノズルをロケットに最初に用いており、このノズルの下に、方向変更板を置いたのであった。今日のロケットは、ノズル自体の向きを変えるジンバル方式を採用しているが、ゴダードはその方式も検討していた。
姿勢安定の方法は決まったものの、世界大恐慌によってグッゲンハイム財団からの援助が32年と33年は得られなくなってしまった。ゴダードは大学に復職し、教壇に立ちながら、研究を続けた。34年からは再び、財団から資金が得られるようになり、1935年3月、ついにゴダードのロケットは音速を超え、37年3月には高度9000ftを記録した。1945年8月10日、62歳で世を去るまで、35回の打ち上げに成功し、4回は、マサチューセッツ州オーバーンでの記録であり、残り34回はニューメキシコ州ロスウェルでなされた。もちろん失敗もあった。23回は上昇しなかったが、それは「負の情報」として有益であったとゴダードは常々語っていたという。失敗から学ぶことは多い。いや、失敗からしか人間は学べないのかもしれない。

図3 ゴダードのロケット(資料:クラーク大学)

●無念の結末

大西洋の向こうのドイツでは忌まわしいロケットミサイルV-2が完成していたにも関わらず、第二次大戦中もゴダードのロケットはアメリカにおいて、ほとんど評価されなかった。1945年5月にドイツが降伏し、ロケット技術者とともにV-2もアメリカに渡った。ゴダードはV-2の分解調査を命じられた。V-2は全長14.3メートルの巨大なロケットであったが、その設計はゴダードのロケットと驚くほど共通点があった。ゴダードは、独自に開発してきたロケット技術が、何者かによってドイツに流出したのではないかという疑惑を拭い去れなかったに違いない。
ゴダードは1945年6月には母校から名誉博士の学位を受けるが(もちろん1911年に博士の学位を得ている)、2ヵ月後の8月10日に、この世を去った。宇宙飛行の夢がかなうのを見ることはできなかった。V-2開発を指揮したドイツのドルンベルガー司令官は、ゴダードのロケットが政府の援助なしで作り上げられたことを知り、驚きのあまり言葉を失ったという。リンドバーグに見出され、ロケットを開発したゴダードであったが、アメリカ政府からは生前ついに正当に評価されることはなかった。研究評価の難しさが痛感させられる。
ゴダードはロケットの燃焼室、ノズル、燃料ポンプ、姿勢制御方式など近代ロケットに必要なほとんど全ての要素を一人で研究し、数百件の特許を取得していた。1960年になり、アメリカ政府は214件のゴダードのロケットに関する特許を100万ドルで買い上げ、夫人に特許料を支払うことでその功績を称えた。1926年の最初の打ち上げからゴダード夫人は、夫のロケット研究の良き協力者であり続け、ゴダードの死後は1982年に自身が亡くなるまで、夫の研究成果の普及に尽力したという。「近代ロケットの父」と呼ばれる孤独なロケット学者、ゴダードの名は、NASAゴダード宇宙飛行センターの名称とともに永遠に人々に記憶されるであろう。(次回に続く)

関連リンク

http://libref.clarku.edu/archives/GoddardBio.htm
Robert H. Goddard Library Web Site

http://history.msfc.nasa.gov/rocketry/index.html
Marshall Space Flight Center History Office -- Rocketry

http://www.bekkoame.ne.jp/~yoichqge/
日本ロケット館

http://spaceboy.nasda.go.jp/index_j.html
宇宙情報センター

http://www.sankei.co.jp/databox/paper/9803/01/mov/review/99/october_sky/
Cinema Clip:遠い空の向こうに

http://www.tdx.co.jp/movie/djvie01/vie00190.asp
MOVIE WORLD / PREVIEW / OCTOBER SKY

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プロフィール

鈴木 真二 (すずき しんじ)
1953 年岐阜県生まれ。1979 年東京大学工学部航空学科修士課程修了。同年 (株) 豊田中央研究所入社。 1986 年工学博士。同年東京大学工学部助教授、1996 年同教授。専門は飛行力学。著書は「現代の航空輸送」 (共著:勁草書房) 、「マルチメディア航空機図鑑」 (監修:アスキー) 、「力学入門」 (コロナ社) など。日本航空宇宙学会理事。

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