日本では大正14年の1926年の3月16日、雪に覆われたマサチューセッツ州オーバーンの農場で、一人の大学教授が、ロケットの点火を、固唾(かたず)をのんで見守っていた。教授夫人も一緒であったが、彼女は危難所で記録をとるためカメラを回していた。ロケットとはいえ、今のロケットを想像してはいけない。それは子供のブランコのような骨組みでできていた(図1)。
助手のヘンリー・ザックスが点火棒を近づけ、教授が液体酸素とガソリンのバルブを開いた。ロケットは、控えめな爆発音と白煙をだすが、すぐには上昇の気配が無かった。燃料が減っていき、ついに推力が重量を上回り、ゆっくり上昇を開始した。その後はロケットである。急に速度を上げ、時速100キロに達するが、急に向きを変え地面に突っ込んだ。映画「遠い空の向こうに」で、ロケットを広場で打ち上げたヒッカム君たちのシーンが思い出される。
時間は2.5秒、最高高度は12メートル、到達距離は56メートル。宇宙を目指すにはあまりにもわずかな一歩であったが、これが人類初の本格的な液体燃料ロケットの初飛行であった。固体燃料によるロケットは初回に紹介したように長い歴史があったが、人が乗って宇宙を目指すためには、自由に推力を制御できる液体燃料ロケットを開発しなくてはならなかった。最初の液体ロケットはパリに留学していたペルー人のポーレが19世紀末に実験したとされているが、本格的な実験はこの時が最初であった。
ただし、この偉大な実験を人々が知ったのは、10年後の1936年になってからであった。資金的な援助をしていたスミソニアン協会が教授のレポートを発表したのがきっかけであった。教授は実験の公開を強く拒んでいた。それには理由があったのである。