みんな、ロケットボーイだった (2)―――逆境を支えた夢と想像力
2001年9月28日
鈴木 真二
宇宙ロケットの理論は、モスクワの南東にあるリャザンの森林監視官の末っ子として生れたコンスタンチン・エドアルドビッチ・チオルコフスキー(1857−1935)によって生み出された。貧困や障害という厳しい境遇にありながら「夢」を追いつづけた彼の生涯と、ロケット技術の発展を追ってみたい。

●ロケット理論の誕生

チオルコフスキーは9歳のとき、しょう紅熱のため聴力を失った。学校も退学し、母親から教育を受けるが、その母親も彼が12歳で亡くなった。チオルコフスキーは、それでも父親の持っていた数学や科学の本に興味をもち、いろいろな実験を繰り返す。
父親は彼の才能をおしみ、16歳になったとき、モスクワに下宿させた。正規に学校へ行けたわけではない。図書館や本屋にこもり、数学、物理、化学、天文学など次々に制覇した。わずかな仕送りによる孤独な生活であったが、「大空や宇宙にあこがれた」チオルコフスキー青年にとっては勉強が至上の喜びであったに違いない。
19歳で故郷にもどったチオルコフスキーは、食費も切り詰めた生活のため、すっかりやせ衰えていた。それでも、近くの子供たちの家庭教師を始め、21歳のときには中学教師の資格試験に合格し、モスクワに近いボロフスクにおいて数学・物理の教師となった。教師のかたわら彼は研究を行った。物理や化学の論文を書くまでになり、その成果は学会でも高い評価を得た。彼は念願の「大空や宇宙を飛行する」研究を開始する。
驚くべき広い科学知識に裏打ちされた彼の研究は技術の理想主義でもあった。彼が考えた飛行船や飛行機は当時の技術レベルを超越した金属製の流線形の機体であった。彼にとっては、重いエンジンを載せた実用的な乗り物を考えた場合の当然の帰着であった。ただし、あまりにも先進的な設計ゆえに、ロシアの役人からは完全に無視された。しかし、技術は彼の構想のように進歩する。金属製の飛行船はドイツのツェッペリンによって10年後の1900年に完成し、金属製の流線形航空機も数十年後には出現した。
研究資金は得られなくとも、ロケットは彼の頭の中で理想的な形として育まれていた。1897年にはロケット方程式を導き、1903年には、「反動推進装置による宇宙探査」という論文を完成させた。ライト兄弟が初の動力飛行に成功した年である。彼は最初から有人宇宙船を考えていた。そのために、推力を自由に制御でき、効率の良い液体ロケットが必要であるとした。燃料に関しても研究を進め、液体水素と液体酸素がすぐれ、それらを燃焼室の冷却に使用するというアイデアも提示している(図1)。

図1 チオルコフスキーのロケット構想図:資料NASA(画像をクリックすると拡大表示します)
驚くべき先見性ではあるが、当時の技術レベルや常識をはるかに凌駕していた。彼の研究が評価されたのは、ロシア革命後になってからである。1919年、チオルコフスキーはロシア社会主義科学アカデミーの会員に選出された。すでに62歳であった。彼はその後も活発に論文を発表しつづけ、1935年9月19日に生涯を終えるまで、多段ロケットや、原子力推進のロケットの構想を研究した。

●ノズルの役割

チオルコフスキーの理論を具体化するためには、さまざま技術的課題を克服しなくてはならなかった。ロケット・ノズルもその一つである。
ロケットの推進力の源は、燃焼室で発生した高圧ガスが、ノズルで加速されることにある。前回のロケット方程式からも分かるように、ロケットの速度は噴出ガスの速度に比例して大きくなる。ヒッカム少年らはパイプに火薬を詰め、パイプの端に座金を溶接することでロケットを作った。この即席のノズルは、直ぐに溶けてしまいロケットの打ち上げは失敗続きとなる。
ヒッカム少年は、父親の働く炭坑の工作室に密かにロケット・ノズルの加工を依頼した。推進剤の改良もあり、どうにかロケットの打ち上げは成功した。しかし、炭坑の管理職であったヒッカム少年の父親は、少年らの危なっかしいロケットの実験を禁止しており、工作室に依頼したことが後の問題を引き起こすことになる。
ノズルは映画の伏線となっているが、実際、ノズルこそロケットの推進力の要である。クウェンティン君が力説するように、燃焼室で作り出された高圧ガスは、ノズルのくびれた部分で音速(音の伝わる速度)に到達し、その後のノズルの広がりによってガスは超音速に加速される。ノズルはまっすぐに広がれば良いが、ノズルの長さを短くするために現在のロケットではベル型のノズルが採用される(図2)。

図2 ロケット・エンジンのノズル:資料NASDA
音速よりも遅い速度しか知らぬ者にとっては、ロケットのノズル内の現象は想像を絶するものである。流れの速さが音速よりもずっと遅い場合、ノズルのくびれた部分では速さが増す。同じ量の流体を通さねばならないので流速が増すのである。ところが、ノズルが再び広がると、流れの速度は元の速度に戻ってしまい、超音速に加速されるわけがない。

●マッハ数

 

図3 音速を超えて移動する物体から放出される音波(画像をクリックすると拡大表示します)
マッハ数が1を超えると物理現象が激変する。サイレンを出す車の速度が音速を超えたらどうなるか想像してみよう。音の伝わる速さよりも車が速く近づくので、車は見えてもサイレンは聞こえない。車が通過した後で、遅れて届いた音波が重なり合い突然大きな音がするはずである(図3)。移動速度と音速の比をマッハ数とよぶが、マッハ数が1を超えるとこうした現象が発生する。マッハ数が1を超える速度を超音速と呼ぶ。

●ド・ラバルのノズル

図4 面積の増加する筒内の流れ
断面積が変化する筒内の圧縮性流れを考える。ある断面を単位時間に流れる流量はどこでも同じであるから、図4の関係が成立する。流速が音速よりも小さければ、流体の密度変化は小さいので、管が細くなれば流れは速く、太くなれば流れは遅くなる。ところが、超音速になると、状況が一変する。管が太くなった場合、つまり断面積が増えた場合、密度が急速に小さくなり、流れは加速される。
この性質を利用して流れを超音速に加速するのがロケット・ノズルである。音速以下の流れは細くなる管によって加速される。一番くびれた部分でマッハ数が1になり、ノズル出口の圧力が低ければ、流れは超音速になり、断面積が広がる部分でさらに加速される(図5)。超音速の噴流がロケットを宇宙まで加速する。

図5 ラバル・ノズル内の超音速流れ。くびれたスロート部で流れのマッハ数が1になる。
流れを超音速に加速するための、こうしたノズルは、スウェーデン生まれの技術者カール・グスタフ・パトリック・ド・ラバル(1845−1912)により考案され、ラバル・ノズルと呼ばれる。ただし、この発明のきっかけは、ロケットとはまったく関係が無かった。酪農用遠心クリーム分離機のために開発されたのであった。
ド・ラバルは1882年に遠心分離機の動力源として、スチームタービンを設計する。最初は蒸気の噴射口を絞り、射出速度を上げようとするが、思うようにタービンを回転させることは出来なかった。絞り込んだ噴射口の先に断面積が増加するノズルを取り付けたところ、タービンは驚くべきスピードで回転を始めた(図6)。1888年のことである。

図6 ド・ラバルの考案したスチーム・タービン
考案したノズルが人を宇宙に運ぶことになるとはド・ラバル自身、夢にも思わなかったに違いない。ラバル・ノズルの真価が認識されるには、20世紀の高速空気力学の研究を待たねばならなかった。ド・ラバルはクリーム分離機の事業で成功を収めた後、スウェーデンの国会議員となり政治家としても活躍したという。

●液体ロケットの実験

液体ロケットの最初の飛行は、1926年、アメリカのクラーク大学の物理学教授ゴダードによってなされた。ゴダードはほとんど自費でロケットを開発したロケット・ボーイであった。詳細は次回に紹介したい。
チオルコフスキー自身、数百年先と考えていたロケットによる人類の宇宙飛行が、ロシアのガガーリンによって達成されたのは、彼の死後わずか26年後であった。彼をロケット研究に駆り立てたものは何だったのか。彼自身、「ロケットの研究のアイデアはジュール・ベルヌのSFだったのではないかと思う」と回想している。厳しい境遇にあった異端の科学者チオルコフスキーを支え続けたのは、夢や想像力だったのであろう。(次回に続く)

【参考資料】

1.佐貫亦男、ロケット工学、コロナ社、昭和48年
2.久下洋一、アマチュア・ロケッティアのための手作りロケット完全マニュアル、誠文堂新光社、2000
3.鈴木真二、ロケット・ボーイたちと慣性航法、航空情報2001年、4月号

関連リンク

http://history.msfc.nasa.gov/rocketry/index.html
A Timeline of Rocket History

http://www.bekkoame.ne.jp/~yoichqge/
日本ロケット館

http://spaceboy.nasda.go.jp/index_j.html
宇宙情報センター

http://www.sankei.co.jp/databox/paper/9803/01/mov/review/99/october_sky/
Cinema Clip:遠い空の向こうに

http://www.tdx.co.jp/movie/djvie01/vie00190.asp
MOVIE WORLD - 遠い空の向こうに

s_suzuki@newsjpmsn.com
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プロフィール

鈴木 真二 (すずき しんじ)
1953 年岐阜県生まれ。1979 年東京大学工学部航空学科修士課程修了。同年 (株) 豊田中央研究所入社。 1986 年工学博士。同年東京大学工学部助教授、1996 年同教授。専門は飛行力学。著書は「現代の航空輸送」 (共著:勁草書房) 、「マルチメディア航空機図鑑」 (監修:アスキー) 、「力学入門」 (コロナ社) など。日本航空宇宙学会理事。

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