みんな、ロケットボーイだった (1)
2001年9月11日
鈴木 真二
H-IIA の打ち上げが成功し、失敗が続いたわが国の宇宙開発にも明るい兆しが見えてきた。しかし、強豪がいならぶ衛星打ち上げ事業は今後とも油断が許されない状況である。今でこそ、宇宙開発は国家的な巨大プロジェクトであるが、ロケットのパイオニアの多くは宇宙を夢見たロケットボーイたちであった。

● ロケット・ボーイズ

H-IIA の打ち上げをテレビで見ていた私は、昨年の正月に観た映画「遠い空の向こうに」のシーンを思い出した。大空に舞い上がっていく H-IIA ロケットの映像が、規模はまったく違うのであるが、ウェスト・バージニアの高校生が打ち上げた小さな手作りロケットにオーバーラップした。ご覧になった方も多いと思うが、NASA の元技術者が友人たちとロケットを飛ばす顛末 (てんまつ) がストーリーになっている映画である。

1957 年 10 月、旧ソ連が世界初の人工衛星スプートニクを打ち上げるところから映画は始まる。ソ連の人工衛星が不気味な電波を発しながら米国の上空を 1 時間半おきに通過する。米国はスプートニク・ショックに襲われる。米国の人工衛星打ち上げは失敗の連続であった。12 月 6 日のバンガード衛星の打ち上げは特に悲惨であった。ロケットは点火されたものの上昇せず、二つに折れて崩れてしまう。この様子はテレビで放映され、アメリカの威信が地に落ちる。
ウェスト・バージニアの炭鉱町の高校生である主人公のヒッカム少年 (原作では愛称ソニーであるが、商標の関係か、映画では変えられている) は、この映像を見て自らロケットの実験を志す。

映画ではフォン・ブラウンが米国のバンガードの打ち上げに失敗するかのように描かれているが、彼は当時、陸軍でロケットの開発に関わっていた。ドイツで V2 を開発したブラウンは、戦後米国に渡るが、米国ではナチスのロケットを開発したとして不遇の時代が続いた。そのブラウンが窮地に立たされた米国のロケット開発を救うために表舞台に登場する。
米国はソ連に 4 ヶ月遅れて人工衛星を打ち上げる。ブラウンが陸軍で開発していたロケットに急きょ人工衛星エクスプローラ I を乗せた結果であった。ブラウンはその後、アポロ計画の陣頭指揮を取り、ヒッカム少年から神様のように崇められる存在となるのである。

● 元寇は日本をロケット攻撃していた―――ロケットの歴史

図 1 中国のロケット弾 (火箭) :資料 NASA
ヒッカム少年の同級生で、物理大好き少年クウェンティン君が説明するように、ロケットの起源は 13 世紀ごろに中国で使用されたロケット弾 (火箭:かせん) のようである。矢の先に火薬をつめた円筒の固体燃料ロケットが取り付けられていた (図 1) 。歩兵を中心とする宋の軍隊が強大な騎馬民族の機動力に悩まされ、強力な兵器を開発したのであろう。日本では鎌倉時代の頃である。
ロケット弾の脅威に驚いた蒙古軍はただちに自らの武器に取り入れる。そして、ロケットは蒙古軍の強大な勢力を背景に世界中に広まる。わが国も元寇のときにロケット弾で攻撃されている。ヨーロッパにもロケット弾は伝わるが、より強力な鉄砲が発明された後は、その用途は花火や信号弾に限られた。
ヨーロッパではすたれたロケットも鉄砲の伝来の遅れたアジアやアラブでは依然として武器として存続し、それがヨーロッパに再導入されるのは、イギリスが 18 世紀末にインドで手痛い被害を受けたためである。インド南部のマイソール国で、ハイダル・アーリー皇子の率いるロケット弾の軍団にイギリス軍が敗れた。この敗戦の報告からイギリスのコングレーブ卿はロケット弾の開発を行う。
コングレーブ・ロケットは 1805 年に、ブローニュ港のナポレオン軍への攻撃に最初に使用される。この時は嵐のため点火できずに失敗するが、翌年には戦果をあげたようである。ロケット弾はたちまちヨーロッパに広まり、各国が所有するまでになる。
アメリカ国歌のフレーズに「ロケットの紅の炎」に浮かび上がる星条旗が歌われているのは、1814 年の米英戦争でイギリス艦隊が首都ワシントンの攻撃に用いたロケット弾のことであるという。1863 年の薩英戦争においても、イギリス軍はロケット弾を鹿児島に射ち込んでいる。このときのロケットは排気をベーン (翼板) にあてて自身をスピンさせ、安定化をはかっていた。
ロケット弾の欠点は命中精度が悪いことである。スピンさせる工夫も命中精度を上げるために考案されたものである。ただし、鉄砲も弾丸にスピンを与えるため、砲身の内側にらせん状の溝をほる技術が発達し、飛躍的に射距離がのび精度があがった。このため、ロケット弾は急速にすたれる。そういえば、ヒッカム少年らのロケットもあらぬ方向に飛んでしまい、大人から大目玉を食らうことになる。

●SF 空想小説のブーム

武器としては、すたれてしまったロケットではあるが、意外な所で脚光をあびる。SF 空想冒険小説が引き金となり宇宙旅行の手段として期待されるようになる。有名な小説はジュール・ベルヌの「地球から月へ」 (1865) で、これに構想を得てジョルジュ・メリエスは映画「月世界旅行」 (1902) を製作した。
ベルヌは長大な大砲で人の乗った砲弾を打ち出す構想であった。ただし、この方法は非現実的である。発射時の加速度がすさまじく人はつぶれてしまう。地球の重力を脱出して月に向うには、事実とてつもない速度が必要なのであるが、人が乗るためには、ロケットでゆっくりと加速しなければならない。
「地球から月へ」の後編では、宇宙船が減速のためにロケットを逆噴射し、ここにロケットが登場する。ベルヌの小説は、宇宙での真空で生活する方法や無重力での様子を克明に記載している。なによりも、宇宙へ人が旅行するというストーリーは人々を引き付けた。彼の小説には科学の未来予測という側面があり、宇宙旅行のほか、ヘリコプターや、潜水艦などその後実現する技術がみごとに予測されている。
アメリカの原子力潜水艦ノーチラス号はベルヌの小説から取られているのは有名である。スペースシャトルのコロンビア号は、大西洋横断のコロンブスにちなんだ名前であろうが、ベルヌの宇宙船を打ち出した大砲がコロンビアードと命名されている事と関係が無くもなさそうだ。

● ロケット方程式

図 2 ロケット方程式:最終速度はガスの排気速度と質量比の関数となる
飛行機の飛ぶ原理に関しては「ベルヌーイの定理説」に絡んで MSN ジャーナル上で議論になったばかりである。これに較べるとロケットの原理はダイレクトで明解である。燃焼によって発生した高温高圧のガスを高速で後方に噴射する。その反力が推力である。
空気も重力も無い空間を一定の排気速度でロケットが進むとすると、ロケットが最終的に到達できる速度の大きさは、図 3 のように、排気速度と、質量比の対数関数に比例する。質量比とは、初期質量とガス噴射終了後の質量の比である。ロケットの質量は噴出したガスの分だけ減っていく。
ロケットの性能を上げるためには図 3 から分かるように、排気速度を上げ、質量比を高めれば良い。高性能なロケット・エンジンの開発に心血が注がれるのは排気速度を上げるためであり、ロケットが巨大な燃料タンクの様であるのは、質量比を高めるために他ならない。
風船に空気をいっぱい詰めて手を離すと、勢い良く飛ぶ。これが、まさしくロケットの原理である。丈夫な風船に空気を 1.2 気圧まで詰めて直径 30 センチまで膨らまし、飛ばしてみよう。排気速度はベルヌーイの定理で決まる。大気圧との差 0.2 気圧で、噴出する空気の運動エネルギーが決まる。およそ毎秒 5.5 メートルである。風船に詰められた空気の質量は 21 グラム程度である。空気は軽いが質量がある。1 立方メートルあたり 1.2 キログラムである。風船の質量を 3 グラムとすると、質量比は (21 + 3) / 3 で 8 となる。あとは図 3 のロケット方程式に代入して、風船ロケットの最終速度は毎秒 11.4 メートルとなる。もちろん空気抵抗や重力を無視した計算である。

● 宇宙旅行の父

 

図 3 風船ロケットとパチンコ玉の速度変化
図 3 は、風船ロケットの速度の時間的変化を、ゴムのパチンコで玉を飛ばしたときと比較したものである。ロケットは徐々に速度をあげていくのに対して、パチンコ玉はゴムで飛ばされた瞬間に最高速度になる。速度の傾き (微分) が加速度であるから、パチンコは最初に大きな加速度がかかり後は 0 である。人を大砲で宇宙まで飛ばすことが出来ないのは、この大きな加速度のためである。
これに対してロケットの加速度は徐々に増加する。燃料を使い終わったときが最も加速度が大きいのは、燃料が減ってロケットが軽くなるためである。スペースシャトル (図 4) では打ち上げの直後が 1.6G (重力の 1.6 倍) で、固体ロケットブースターが燃え尽きる頃が 2.5G になる。このあと一端、G は減るが、液体燃料エンジンでさらに 3.0G まで加速するという。3.0G というのは、自分の体重が 3 倍になった感覚である。腕を上げるのも大変であろう。
ただし、ロケットの初速が遅いことは欠点でもある。風が強いと流されてしまう。ロケット弾の命中精度が悪い一因でもある。スペースシャトルも風が強いと打ち上げは延期される。

図 4 スペースシャトルの打ち上げ:資料 NASA
図 2 のロケット方程式を導いたのはロシアの科学者コンスタンチン・エドアルドビッチ・チオルコフスキー (1857 − 1935) である。モスクワの南東にあるリャザンの森林監視官の末っ子として生れたチオルコフスキーはロケットの理論を導くにふさわしい異端の科学者であった。彼の驚くべき生涯にかんしては次回に紹介したい。
(次回に続く)

【参考資料】

1.佐貫亦男、ロケット工学、コロナ社、昭和48年
2.久下洋一、アマチュア・ロケッティアのための手作りロケット完全マニュアル、誠文堂新光社、2000

関連リンク

http://history.msfc.nasa.gov/rocketry/index.html
A Timeline of Rocket History

http://www.bekkoame.ne.jp/~yoichqge/
日本ロケット館

http://spaceboy.nasda.go.jp/index_j.html
宇宙情報センター

http://www.sankei.co.jp/databox/paper/9803/01/mov/review/99/october_sky/
Cinema Clip:遠い空の向こうに

http://www.tdx.co.jp/movie/djvie01/vie00190.asp
MOVIE WORLD - 遠い空の向こうに

s_suzuki@newsjpmsn.com
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プロフィール

鈴木 真二 (すずき しんじ)
1953 年岐阜県生まれ。1979 年東京大学工学部航空学科修士課程修了。同年 (株) 豊田中央研究所入社。 1986 年工学博士。同年東京大学工学部助教授、1996 年同教授。専門は飛行力学。著書は「現代の航空輸送」 (共著:勁草書房) 、「マルチメディア航空機図鑑」 (監修:アスキー) 、「力学入門」 (コロナ社) など。日本航空宇宙学会理事。

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