MSN ジャーナルの記事「『ベルヌーイの定理』説に挑む」、は科学面の記事としては異例ともいえる反響があったそうである。飛行機の翼になぜ揚力が発生するか、ということが話題であった。「飛行を理解する」の共著者デビッド・アンダーソン氏は、通常使用されている「ベルヌーイの定理」による説明は間違っているという。編集部に寄せられた意見は、アンダーソン氏に反対と賛成の意見に二分されているらしい。前回に引き続き揚力の発生理由を考えたい。空気力学の理論が行き詰まるなか、人類は遂に気球で空に浮上するところまで話は進んだ。

 

この記事は、2001 年 7 月 3 日に掲載された『飛行機が飛ぶわけ―――「ベルヌーイの定理」説をめぐる論争を解く (1)』の後編にあたります。

 
●飛行の原理の確立

 どうすれば人は鳥のように空を飛べるのか。風まかせの気球では物足らないと考えた人々は、飛行の原理の研究を本格的に開始する。

 飛行の研究と言えばレオナルド・ダ・ビンチが有名である。日本では室町時代の頃、ダ・ビンチは鳥の飛行を詳細に観測し、羽ばたき機 (オーニソプター) を構想する。大きな鳥でも、ちゃんと飛べるのは体重10キログラム程度までで、しかもアホウドリなど滑空飛行が主体であるから、実際には人が羽ばたいたのではとても飛び上がれるものではない。無謀にもダ・ビンチの案を実行したばかりに命を落とすものも現れた。

 現在の飛行機のようにしっかりとした固定翼で機体の重量を支え、プロペラなど前に進むためのメカニズムを別に備えることを発明したのは、イギリスのケイリー卿であった。1853 年、ケイリー卿は実際に人が乗れる大きさのグライダーを作って実験している。このときの操縦士は、彼の馬車を操る御者であった。「自分は空を飛ぶために雇われたのではない」と嫌がる御者を乗せ、グライダーはわずかに地面を離れた。

 「航空学の父」と呼ばれるケイリー卿の実験は、多くの冒険家や発明家たちに飛行の夢を与えた。ドイツのオットー・リリエンタールは 1891 年からベルリン郊外に小高い丘を作り、2000 回以上グライダーの飛行実験を行った(図1)。1896 年に墜落し命を落すまで、今日のハンググライダーのように体重を移動させ見事な飛行を行っている。アメリカのライト兄弟は、リリエンタールの意志を継ぎ、1903 年 12 月 17 日にエンジンを備えた飛行機 (図 2) を遂に完成させる。

 
図1 リリエンタールのグライダー (マルチマディア航空機図鑑、アスキー)

 
図2 ライト兄弟の初飛行 (マルチマディア航空機図鑑、アスキー)

 
●風洞実験技術の発達

 当時の空気力学の理論では抵抗も揚力も正確に計算することができなかった。ケイリー卿、リリエンタール、ライト兄弟いずれも、実験によって翼の空気力を計測して、機体を設計している。

 図 3 はケイリー卿の用いた実験装置である。先に翼を取りつけたアームを回転させることで翼に揚力を発生させる。アームが水平になるように調整した重りの重量から揚力の大きさが測定できた。翼を少し上に反らせると大きな揚力が出ることも分かってきた。リリエンタールの装置も同様であったが、アームの長さは数メートルにもおよんだ。ライト兄弟は、最初はリリエンタールの測定データを用いたが、当時使用されていた空気力を求める公式に誤りがあることを発見し、途中から、図4のような風洞装置を自作し、無数の模型を実験した。風洞はダクトになっていて中でファンをまわして気流を作る。ダクト内に模型をセットし空気力を測定する原理は今日でも同じである。

 
図3 ケイリー卿の空気力測定装置

 
図4 ライト兄弟の風洞のレプリカ (資料:ハンプトン航空宇宙博物館)

 
●翼理論の誕生

 リリエンタールの華麗な飛行は、ライト兄弟を飛行機の開発に向かわせたように、行き詰まっていた空気力学理論の発達も促 (うなが) す。20 世紀の初頭、ドイツのクッタやロシアのジュコーフスキーといった学者たちは翼が揚力を発生する原理は渦 (うず) にあることを発見する。

 渦 (うず) とは何か。自然界では台風や竜巻が渦である。この巨大なエネルギーをもった渦が翼によって作り出されると考えられている。渦が揚力を発生する原理を理解するには、流れの中におかれた円筒を考えるとよい。円筒が回転していなければ揚力は発生しないのであるが、円筒が回転を始めると揚力が発生する。回転する円筒の上部では回転速度の影響で流れは増速され、下部では逆に減速される (図 5) 。この速度の差が「ベルヌーイの定理」によって揚力を生み出す。

 
図5 回転する円筒によって発生する揚力

 翼が渦を作るしくみは、翼の鋭い後縁にあるとクッタは説明する。翼が、流れに対して角度 (迎え角) を持っておかれた場合を考える。流れが、オイラーの考えた粘性の無い流れであれば、図 6 左のように後縁をまわりこんで流れる。この場合は、揚力は発生しない。ところが、粘性のある実際の流れは図 6 右のように後縁からスムーズに流れ去る。クッタはこうした流れが起きるためには、翼に渦が存在しなくてはならないと考えた。

 翼に渦が存在すれば、翼の周りに時計回りの旋回流が発生するので、後縁から流れるように全体の流れ場が変化する。あとは「ベルヌーイの定理」で揚力が発生する。翼が揚力を発生するのは、翼が上に反っているためではなく、翼が鋭い後縁を持つことが重要であったのだ。クッタがこのことを発見したのは、ライト兄弟が初飛行に成功する 1 年前の 1902 年のことである。迎え角が大きくなると揚力が大きくなることも渦によって説明できる。迎え角が大きくなると、流れを後縁からスムーズに流すために必要となる渦の強さが大きくなるからである。

 
図6 クッタは翼に渦がなければならないと考えた

 

 
●渦は数学的な虚構か

 渦は揚力の発生を見事に説明するが、アンダーソン氏は、渦は揚力を説明するための数学的な道具にすぎないと述べている。しかし、実際には翼が渦を作っている証拠はいろいろ見つかっている。

 例えば静止した流体中を急に翼が動くと、翼の後ろには反時計まわりの強い渦が発生するのが観測できる。これと反対の強さの渦がどこかに存在しなくてはならないが、それが翼にできていると考えられている。また、翼の端からできる強い渦も翼が渦を作っている証拠といえる。風洞の中で煙を流せば簡単に観測できるが、翼の端からは強い渦が放出されている。ジャンボジェット (図 7) のような大型機の後ろでは、小さな飛行機の操縦が乱されるのはこの渦が原因である。事実、このために小型機が墜落したこともある。渦は空中ではつながっていなくてはならないから、翼にも渦ができていなくてはならない。

 
図7 ジャンボジェットが作る翼端渦 (資料:NASA)

 
●本当の理由はなにか

 円柱に揚力を発生させるためには、図5のように、勢いよく円柱を回さなくてはならなかった。つまり、渦を作り揚力を発生させるためにはエネルギーが必要である。飛行機がエンジンを回しているのは、空気抵抗に逆らって前進するためであるが、その一部は翼が揚力を作るためにも消費されている。こう説明すると、グライダーはエンジンが無いのに飛べるのはなぜかと質問されそうである。グライダーはウィンチで上空に上げてもらわなくてはならない。あとは、重力によって落下するエネルギーから揚力を得ているのである。うまく上昇風を捉えられなければいずれは高度を失う運命にある。

 アンダーソン氏は、翼が空気を押し付け、流れの向きを変えることが揚力の発生理由としている。流れの向きが変われば、翼に揚力が出ていることになる。これは確かである。しかし、流れの向きが変わるのは、揚力の発生する理由ではなく、揚力が発生した結果である。翼がなぜ空気の向きを変えることができるかを説明できなければならない。

 これを説明するために、アンダーソン氏は、流れが物体表面に沿って湾曲して流れる効果 (コアンダ効果という) を理由にあげる。だが、コアンダ効果を発生するのは、なにも翼だけではない。翼の無い胴体だけの機体を考えてみよう。この場合もコアンダ効果は生まれるが、翼のような揚力はとても作れない。翼は胴体では作れないような強い渦を作り出す。これこそ、流れの向きを変え、揚力を発生させる理由である。クッタとジュコーフスキーの考えた翼理論は、飛行機の発達と共に進歩し、今ではコンピュータによって飛行機に発生する揚力を正確に計算できるようになった (図 8)。

 
図8 コンピュータで計算されたジェンボジェット表面の空気の圧力分布 (資料:NASA)
(クリックすると拡大します)

 
●スーパーコンピュータでも解けない空気力学

 渦が揚力を作れることは分かったし、翼が渦を作っている証拠もつかめた。そして、飛行機の揚力がコンピュータによって計算可能となった。しかし、渦が作られる状況は、まだ完全には解明できていない。

 渦は実際には翼表面と流れの摩擦によって発生し、翼近くのごく狭い領域に閉じ込められて発達する。こうした複雑な流れは、オイラーの導いた方程式に粘性の効果を追加したナビエ・ストークスの方程式によって表現できることは分かっている。この究極の方程式は出来上がってから 100 年以上たっているのであるが、最新のスーパーコンピュータを用いても完全には解くことはできない。飛行機の正確な抵抗や、失速 (しっそく) と呼ばれる複雑な現象を調べるためには今でも風洞実験が用いられている。ライト兄弟の時代と比較すると図 9 のように風洞は巨大にはなっているものの、基本的には当時と同じことを行っているというと多くの方は驚かれるであろう。

 
図9 NASAの巨大な風洞実験施設 (資料:NASA)

 技術は進歩し飛行機は自動操縦で飛べるとはいえ、非常事態に機体や乗客を救うのは腕の良いパイロットや管制官である。コンピュータによる設計製造技術が普及しているものの、その真髄はライト兄弟のような熱意と技の冴えである。そして、空気力学の詳細は依然として科学的究明課題である。巨大な飛行機が飛び立つとき、なにか神秘的なものを感じ、揚力の原因がいまだに議論される。飛行機は今でもロマンと技術と科学の結晶なのである。

 
●参考資料

 1) 谷 一郎、流れ学、岩波全書、1967.

 2) John D. Anderson, Jr., A History of Aerodynamics, Cambridge University Press, 1997.

 3) D.F. Anderson, and S. Eberhardt, Understanding Flight, McGraw-Hill, 2001.

 4) 鈴木真二、主翼の形態1、2、航空機の形を科学する、航空情報、2000年1、2月号、注) 「航空情報」、2001年9月号から今回の記事を詳しく説明したものを連載予定。

 5) 鈴木真二監修、西川渉、宮田豊昭、マルチマディア航空機図鑑、アスキー、1996.

 

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プロフィール

鈴木 真二(すずき しんじ)

1953 年岐阜県生まれ。1979 年東京大学工学部航空学科修士課程修了。
同年(株)豊田中央研究所入社。
1986 年工学博士。同年東京大学工学部助教授、1996 年同教授。
専門は飛行力学。
著書は「現代の航空輸送」(共著:勁草書房)、「マルチメディア航空機図鑑」(監修:アスキー)、「力学入門」(コロナ社)など。
日本航空宇宙学会理事。