「『ベルヌーイの定理』説に挑む」は科学面の記事としては異例ともいえる反響があったそうである。飛行機の翼になぜ揚力が発生するか、ということが話題であった。「飛行を理解する」の共著者デビッド・アンダーソン氏は、通常行われている「ベルヌーイの定理」による説明は間違っているという。編集部に寄せられた意見は、アンダーソン氏に反対と賛成の意見に二分されているらしい。

 

5 月 29 日掲載の「飛行機はなぜ飛ぶのか−『ベルヌーイの定理』説に挑む」には、専門的な内容だったにもかかわらず、ジャーナル編集部の予想を大きく上回る反響が寄せられました。いただいたメールは「長年の謎がとけた」「いや、この説は屁理屈だ」など賛否両論でしたが、どれも「飛ぶ」というメカニズムを解き明かしたいという科学への真摯 (しんし) な思いが伝わるものばかりでした。そこでジャーナルでは、飛行力学の専門家である東京大学大学院航空宇宙工学専攻・鈴木真二教授に「ベルヌーイの定理」説をめぐる論争を分かりやすく読み解いていただきました。

 
●「ベルヌーイの定理」とは何か

 一般の方は「ベルヌーイの定理」など関心がないであろうが、飛行機にとっては、大変重要な定理である。翼が空中を進むと、または、流れの中に翼があると、翼には揚力と呼ばれる上向きの力が作用する。巨大な飛行機が空に浮くことができるのは、機体の重量を支えることができる揚力が翼に発生するためである。なぜ揚力が発生するか、という疑問に答えるのが「ベルヌーイの定理」である。

 「ベルヌーイの定理」は、「流体の速度が増加すると圧力が下がる」と説明されている。翼は図1のように上に反っている。翼の上面の流れは下面の流れよりも速くなるから、上面の圧力は低くなる。この圧力の差によって翼は上に引き上げられる。これが揚力と説明されるのだが、どうもしっくりこないと思うのはアンダーソン氏だけではないはずである。

 
翼の上面の流れは加速され、上面の圧力が下がるので揚力が発生する。「ベルヌーイの定理」による揚力の説明である。
図 1 翼の上面の流れは加速され、上面の圧力が下がるので揚力が発生する。「ベルヌーイの定理」による揚力の説明である。

 
●空気の特性を調べる―――空気は重い?

 「ベルヌーイの定理」が分かりにくいのは、空気の圧力を我々が普段なかなか実感できないためかもしれない。空気には重さがある。一辺が 1 メートルの立方体に含まれる空気の重さは、約 1 キログラムである。空気は意外と重い。風船に空気をつめても重いと感じないのはなぜか。それは、空中でも浮力が働くからである。水中で体が軽く感じるのと同じ理屈である。風が吹けばものが飛ばされ、飛行機が空を飛べるのは、空気に重さがあるためである。

 空高くまで空気は積み重なっていて、我々は空気の底で生きている。地表にある 1 メートル四方の正方形に加わる空気の重さは、約 10 トンである (図 2)。我々が空気の圧力で押しつぶされないのはなぜか。体の中にまで空気が入り込んでいるから、バランスが取れているためである。人間が宇宙服もなく真空の宇宙空間にいきなり投げ出されたらどうなるか、考えただけでも恐ろしい。

 
図2 大気圧は1平方メートルあたり 10 トンの重さになる
図2 大気圧は 1 平方メートルあたり 10 トンの重さになる

 大気の圧力は静止している空気の圧力である。空気が運動すると「ベルヌーイの定理」によって圧力が変化する。教科書には図 3 のような式がのっている。この式の導出はちょっと難しい。普通、エネルギーが保存されるから成り立つと説明されるが、圧力は空気にかかる力であるから、力が作用する時のエネルギーを考えねばならない。むしろ空気を吸い込み、圧力を下げると流れが起きると考えた方が分かりやすい。これはニュートンの運動の法則にほかならない。そこから圧力と速度の関係「ベルヌーイの定理」が導かれる。

 
図 3 ベルヌーイの定理。流れの速度が速い場所では圧力が下がる。

 流れによってどの程度、圧力が変化するのか調べてみよう。図4のように静止している空気に 1 メートル四方の「ふた」をする。ふたの表面に秒速 50 メートルの風 (強い台風の風) が吹く場合、ふたは 150 キログラムもの力で持ち上げられてしまう。読者の方のメールにもあったが、台風で瓦が飛ぶのも無理はない。瓦はきちんと固定しなくてはいけない。

 
図 4 強風にさらされた板は吸い上げられる。

 
●ベルヌーイの定理の誤った解釈

 翼の上面で流れが速く圧力が下がるため、揚力が発生することの理屈がお分かり頂けたであろうか。ただ、ベルヌーイの定理はアンダーソン氏が指摘するまでもなく、なぜ上面で流れの速度が増すかについては答えてくれない。

 子供向けの解説に、次のような説明が今でも見受けられる。

 「翼の先端にあたった流れは、上下に分かれる。図 5 のように翼の後端までの距離は翼が上に反っているために上面の方が下面よりも長くなる。後縁で上下に分かれた流れが同時に合流するためには、上面の流れが速くならねばならない。」

 うまい説明であるが、残念ながら間違っている。上面を通る流れと、下面を通る流れは同時刻に出会う必要はまったくない。風洞のなかで煙りを流して観測すると、上面を通る流れのほうが早く流れ去ることを観測できる。

 この誤った「後縁で同時に合流」説のために、「ベルヌーイの定理」まで疑われてはたまらない。しかし、こうした苦肉の説明がなされるのには訳がある。揚力の説明は難しいのである。

 
図 5 上下に分かれた流れは同時に翼の後ろで合流するという、「ベルヌーイの定理」の誤った解釈。

 
●ニュートンの空気力学

 空気力学の夜明けはニュートンがもたらす。ニュートンはケプラーやガリレオの研究した惑星の運動を説明するために、有名な力学の 3 法則を導き「プリンキピア」を著す。1687 年のことで、日本では徳川の 5 代将軍綱吉の頃である。

 ニュートンの理論で惑星の運動を説明するためには、宇宙は真空でなければならない。当時は、宇宙は均質な流体に満たされていると考えられていたが、これでは抵抗を受けるので、例えば月は地球に落ちてきてしまう。ニュートンは図 6 のように流体を細かい粒子の集まりと考え、抵抗を直線的に飛んできた粒子の衝突力から計算した。その結果、抵抗は物体の面積に比例し、また、速度の 2 乗に比例することを明らかにした。この結果を確かめるために、ニュートンは大きさの異なる球をガリレオのように塔の上から投下した。

 
図 6 ニュートンの考えた空気力学。空気の粒子は直線的に運動し、物体に衝突した力が抵抗 (D) となると考えた。

 飛行機はニュートンの時代には無かったが、後の研究者が、ニュートンの理論によって揚力も計算した。揚力が翼の面積に比例し、速度の 2 乗に比例するのは抵抗と同じ特性であった。こうした性質は間違いないのであったが、残念ながら抵抗も揚力も正確には予測できなかった。

 
●行き詰まった空気力学の理論

 ニュートンの理論の限界は、空気または流体の流れを小さな粒子の直線的な運動と考えた点にあった。実際の空気は物体に沿ってなめらかに流れる。こうした特性を表現するためには、空気を連続体として考えなくてはならない。古代ギリシャの哲学者アリストテレスが無限に分割できる物体として気体や流体を考えたように、空気を連続な物質として捉えることは、むしろ自然な考えであったといえる。

 スイス出身の物理学者ベルヌーイは、ニュートンの力学理論を連続体としての流体にあてはめ、「流体力学」を作る。1738 年のことである。「ベルヌーイの定理」はこのとき生まれるが、それを完成させたのは数学者オイラーであった。オイラーが考えた流体には粘り (粘性) が無視されていた。そのため、完全流体という名称とはうらはらに、その理論は奇妙な結論を導いた。例えば、ダランベールのパラドックスという有名な話がある。フランスの学者ダランベールは物体の空気力を計算するが、抵抗が 0 (ゼロ) になってしまい困惑する。物理現象と一致しないのである。抵抗はもちろん、揚力も 0 であった。流体力学または空気力学は数学的には発展するが、実際の現象と離れていく。「後縁で同時に合流」説がでてくるのもしかたがない状況といえた。

 空気力学の理論が行き詰まるのを尻目に、人類は遂に空に浮上する。1783 年 11 月 21 日、綿と羊毛を燃やした熱気によって、モンゴルフィエ兄弟の熱気球が、パリのブローニュの森から観衆に見守られて浮上する。気球の成功は、人々の関心を大空の飛行に向けることになる。

  (次回に続く)

 

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プロフィール

鈴木 真二(すずき しんじ)

1953 年岐阜県生まれ。1979 年東京大学工学部航空学科修士課程修了。
同年(株)豊田中央研究所入社。
1986 年工学博士。同年東京大学工学部助教授、1996 年同教授。
専門は飛行力学。
著書は「現代の航空輸送」(共著:勁草書房)、「マルチメディア航空機図鑑」(監修:アスキー)、「力学入門」(コロナ社)など。
日本航空宇宙学会理事。